園の歴史|当園について|塚本幼稚園幼児教育学園

園の歴史

園の歴史

ここは子供たちが一日を過ごす舞台です。
小さな思い出がひとつずつ作られていきます。

沿革

昭和25年(1950年)
幼稚園開設 4月1日私立学校法人初の幼稚園。ここから塚本幼稚園の歴史が始まります。
昭和28年(1953年)
認可(8月25日)。大阪府に認可。

御皇室との関わり

教育実施眼目である歴史と伝統を尊重する先人の功績と、この幼稚園の園児に立派な日本人としての誇りを持つということの原点である御皇室との関わりは長い歴史間を通じて深く、特に先帝昭和天皇陛下の御代にその関わりは深化してまいりました。

自衛隊及び、自衛官への敬意と感謝

国家の安定は国防でありその国防をになっている自衛隊及び、自衛官(昼夜、我が国を外国より守っている人々(防人))に対して敬意を払い、国民を代表して感謝の誠を捧げております。「国破れて山河あり」国家があってこその国民であり、家族であり、個人であります。ソマリヤ沖の海上自衛隊に対して「慰問ビデオ」と園児の作った「海賊退治がんばれペナント」を送りとても喜ばれました。

警察官の方々への応援のエール

国内の治安を維持するのは警察であります。日夜、国民の為に活躍していただいている方々に応援のエールとそして、子どもたちには自分たちを守ってくれている警察官が身近な存在としてがたくさんおり、堂々とされていることを見ることによって子供たちも自信を持っていってもらい、そして、警察官の方達も子どもたちがいるということによって自分の職業に対しても誇りを持ってもらうことであります。

先代「森友 寛」先生を想う

人生は人様々であるが、偉業を成し時代を駆け抜け去った人は少ない

大阪市港区に生をうけ、戦争の時代、幹部候補生として、戦後、人材の育成のため、珠算教育に情熱を注ぎつつ、後世の日本国の為に、幼稚園を設立し、地域教育活動に 邁進し、幼保一元化の先駆けとして周囲の期待にこたえて保育園を設立。
藍綬褒章、旭日章を今上陛下より下賜。
平成7年1月7日検査入院中の府立成人病センターにて死去。
園葬には、中川和雄大阪府知事(当時)、西尾正也大阪市長(当時)より弔辞をいただき、政官界をはじめ2000名を超える人々に送られた。
生前の言葉、昭和天皇陛下の大葬をテレビでみつつ「わしも雪の降る中、見送られるのかな」その言葉の通りとなった。
大正15年~平成7年、天下の為、駆け抜けた人生であった。生前、恩義を受けた人々も多し・・・。
全国学校法人幼稚園連合会組織委員長として全国を飛び回り、そして、大学、高校、中学、小学、幼稚園に至るまでの学校法人に対する経費助成に尽力を尽くした。
皇室(昭和20年代当時)高松宮殿下と親しく懇意にされ、田中角栄首相をはじめ中央の政界人人脈は太く、持ち前のバイタリティと緻密さにより幼稚園を第1等の幼児教育機関として認知させた功績は大きい。
日本珠算連盟における功績も、珠算8段の達人で当時の佐藤栄作内閣総理大臣・三木武夫通産大臣から賞状を受け、現在活躍している大阪珠算連盟理事 森友 健氏は実弟である。

「森友 寛」先生 プロフィール
大正15年9月28日
大阪市港区にて 徳一・はるみの長男として誕生
昭和28年
塚本幼稚園(大阪市淀川区)設立 園長就任
昭和30年
大阪府私立幼稚園連盟理事
昭和34年
日本私立幼稚園連盟理事
  • この間、塚本幼稚園は大学・高校・中学校・小学校と足並みを揃えた全国初の学校法人立幼稚園として認可。
  • 私学振興助成法を成立せしめた。これを機会に全国の学校法人立幼稚園に公的補助がなされる事になった。
昭和48年
全国学校法人幼稚園連合会常人理事
昭和49年
民生児童委員長就任
昭和52年
新清和台幼稚園(兵庫県川西市より招請あり)設立理事長・園長
昭和57年
南港さくら幼稚園(大阪市住之江区)設立理事長・園長
昭和62年
社会福祉法人ポートタウン福祉会ポートタウン保育園(大阪市民生局より招請)設立・理事長就任
平成 2年
内閣総理大臣海部俊樹氏より藍綬褒章受賞
平成 3年
民生児童委員長としての功績を厚生大臣山下徳夫氏より表彰
平成 7年
大阪市民生児童委員連盟副会長として後進の育成に活躍し、社会福祉事業計画立案中、死去、享年68歳
平成 7年
閣議決定 正六位勲五等双光旭日賞受賞
すばらしき人生、人生悔いなし、すべて前向きの人生、惜しむらくは早過ぎた一生である

慈福院智尊寛叡居士 俗名 森友 寛
平成7年1月7日 往生 享年68歳

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